接岸を試みますが波が高く我々の上陸を阻みます。
一旦接岸をあきらめてもう一度上陸のチャンスを伺います。
船員たちのやり取りが緊迫を増す為す中、船は軍艦島唯一の桟橋であるドルフィン桟橋に接岸を果たしました。
しかし船員の「両手は必ず空けておいて、船の手すりをしっかり掴むように!」と、とても遊びで来たとは思えない半分命令調のアナウンスに自然と体も反応します。
桟橋は一つなので一度に複数の船が着岸するのは不可能、やっとの思いで念願の軍艦島に上陸です。
上陸しましたがガイドさんの「写真は後で撮れますから、離れずに付いてきて前の人との間隔は空けないで」と雪中行軍並み強めのアナウンス、実は軍艦島滞在は時間との闘いなんです。
他のクルーズ船もやってくるし海が時化たら戻れないので、スタッフの方は天候が悪い日は特に敏感になるそうです。
この軍艦島の正式名称は端島(はしま)で1810年ごろ石炭が発見され佐賀藩が採炭を行っていましたが、1890年に三菱合資会社の経営になり本格的な海底炭坑として操業が開始されました。
石炭量の増加に伴い島の人口も増加し1916年には日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、最盛期には約5300人の住民が生活し当時の人口密度は東京都の9倍だったそうです。
上陸は果たせましたが軍艦島の見学コースはごくわずかで、建物保存は技術的に困難らしく島の建物はいずれ崩壊していく運命だそうです。
島で一番高い所にある3号建物は幹部クラスの住宅で、ここだけ部屋にトイレやお風呂が付いてました。
1916年に建造された30号住宅は日本初の鉄筋コンクリート造で鉱員の社宅として使用されてました。 地下には売店もあり建物後ろにある31号建物の地下には公衆浴場や郵便局に理髪店も設置されていました。
波の音以外雑音がない島で耳をすませば、その当時生活されていた人たちの声が聞こえてきそうです。
歴史的な遺産はまだまだ続きます。