最後の観光地へはとさでんで移動。
やって来たのは1601年土佐藩藩主山内一豊が着工し10年の歳月をかけて築いた「高知城」、江戸時代の天守閣が現存する数少ない名城です。
銅板に鋲を打ち付けた強固な扉に渡櫓の床板を外せば頭上からの攻撃も可能、例え通り抜けても傾斜をつけた石段が攻めての行く手を阻む「追手門」。
天守閣に向かう道中旅人を迎えるは「板垣死すとも自由は死せず」の名セリフでお馴染み板垣退助像、土佐の出身で自由民権運動のリーダーとして大活躍した明治の政治家です。
見事な石垣を眺めながら天守に到着、攻守のあらゆるアイデアが詰まった高知城の中へ突入(@^^)/~~~
実際に使用されていたカゴ、中は狭く当然床は板張りなので冬は寒かった事でしょう(+_+)
数々ある欄間の中でもこの「うちわけ波の欄間」は黒潮の波を表現したもので、そのデザインは現代でも立派に通用する優れもの。
山内家には複数の家紋がありますが、これは「丸に三葉柏紋」。
寝殿造から発展した書院造の室内、他の間より一段高い「上段の間」は藩主のみが座れる座敷です。
城内には監視や攻撃のための狭間が向けられていますが視界が悪いので、監視範囲を広げるために設けたのがこの「物見窓」。
一見何気ない襖に見えますが奥には藩主の緊急事態に備えて警護の武士が待機、別名「武者隠し」と呼ばれている江戸時代版SPの楽屋です。
他のお城では珍しい本丸にある「雪隠の間」は藩主専用のトイレで、毎日お付きの者が殿様の便で健康チェックをしていたそうです。
案内板後ろにある開口部は敵が石垣まで攻めてきた際、ここから石を落としたり熱湯をかけたり槍で攻撃を加える「石落とし」。
様々な工夫で敵の襲来に備えますがSASUKEのファイナリストみたいな武士がいた場合、それを防御するのがこの鑢を鋭利なまでに磨いた現存する天守閣で唯一残る「しのび返し」。
いよいよクライマックスの天守閣まで登り詰めました(^^)v
土佐藩主になった気分で高知市内を一望、五台山より建物が近く整備されたきれいな街並み。
初代土佐藩主山内一豊は戦国・安土桃山時代信長・秀吉・家康の三人に仕えた武将で、出生地は尾張の国で浪人から土佐24万石の大名まで出世した人物です。
どころで山内一豊の呼び名は「やまうちかずとよ」や「やまのうちかずとよ」とまちまちですが、本当は「やまうちかつとよ」が正解らしいです。
屋根に鎮座するしゃちほこは架空の生き物で、シャチは海の中で生きているので設置された場所は海中にあたる。
海の中には火を起きないので、火災防止や火の用心の意味でしゃちほこが設置されているそうです(諸説あります)。
今回ブログで案内した内容、実はボランティアガイドさんと一緒に巡った際に聞かせて頂いたお話しです。
基本予約が必要で空いていればいつでも案内OKだそうですが、最低30分は時間が必要との事なので時間に余裕がある方は是非ガイドさんと巡れば何倍も楽しい時間になりますよ(^^)/
細部にわたって攻守のアイデア満載の「高知城」、15棟の重要文化財を筆頭に実物ばかりの遺構に時空を超えた息吹を感じました(^-^)
また床下は非常時には取っ手を開けると貯蔵庫スペース、攻守とも考え抜かれた設計の高知城です。