帰りの新幹線まで残り4時間余り、街中をぶらぶらするのは能が無いので観光案内所で教えて頂いた場所へ。
おススメの観光地までは名鉄電車で移動、名鉄名古屋駅は東海圏最大のターミナルなのに線路は三本のみ。
種別や行き先が複雑でツーリストにはちと難しい、真っ赤な車体の名鉄電車が颯爽と入線。
各駅停車でガタンゴトンと揺られること30分、降り立ったのは名鉄「有松駅」。
ここは有松絞りで繁栄した商家が今も残る重要伝統的建造物保存地区「有松」、旧東海道沿いの古い町並みが特徴の街です。
お邪魔したのが三連休明けの平日なので観光客は皆無、江戸時代に思いをはせるには絶好の環境です。
江戸期から明治期に制作された3両の山車は名古屋市の指定文化財に指定されており、毎年10月の第一日曜日には「有松山車まつり」が開催されます。
ただ町内のお祭りだからその山車は倉庫に眠ったまま、そんなに観光資源としてアピールするつもりはなさそうです(;_:)
絞業で財を成した武田家には徳川14代将軍家茂が訪れたとされる茶室「栽松園」があり、屋根の上には明治期のガス灯の名残が・・・
有松では数少ない卵建(うだつ)の上がる家「小塚家」。
国登録有形文化財「中濱家住宅」の玄関横には馬のつなぎ輪も現存、当初は絞商・山田与吉郎の建物でした。
なので左の瓦には中丸の印がありますが中濱家の前の山田家の印山ヨは、その当時の名残を伝えています。
古い街並みの中でもひと際目立つ重厚で歴史を感じる建物、さぞや豪商の建物と思いきや・・・
有松を代表する絞商の建物として建てられ昭和から約50年間棚橋医院として使用された「棚橋家」、その瓦には邪気から家を守るシーサーの愛知バージョン「鐘旭様(しょうきさま)が鎮座しています。
主屋の脇に塀・門・土蔵が連なる「服部家住宅」、その敷地間口は有松で最大の物です。
将軍様も通った東海道に未だ変わらぬ町並、入場施設もほとんどなく観光地してないので時間があればどうぞぐらいかな。
それより有松駅の次の駅が「中京競馬場前」だと帰りに気付いたのが一番印象に残りました(^^ゞ