広島駅からわずか10分足らずで本日最初で最後の観光地に到着。
ここは元和6年(1620)に浅野藩家老の上田宗箇により、浅野藩主の別邸の庭として築成された「縮景園」。
中国の世界的な景勝地「西湖」を模してつくられたとも伝えられている園内は、山川の景・京洛の態・深山の致を庭の中に縮景していることから「縮景園」と名付けられたそうです。
園内に入って真っ先に目に飛び込んできたのは桜の木、バスガイドさんも驚くほどこの数日で一気に開花したそうです🌸
今回ツアーで大活躍したこのイヤホン、ガイドさんから離れていても案内がクリアに聞こえる優れもの。
密を防ぐ意味でも良いアイデア、これはコロナ後ニュースタンダードになりそうな予感。
広島で一番有名な桜がこの木で、開花宣言の目安となる標本木がこの木です。
この源平枝垂れ桃は一本に白と赤2種類の花が咲く珍しい木で、昔白旗と赤旗を掲げて戦った源平合戦がその名の由来となっています。
ただこの縮景園はあの1945年に投下された原子爆弾により全壊、当時向こう60年は植物が生えないとされていましたが現在ではきれいな花を咲かせています🌹
数寄屋風書院造りで屋根は杮葺きになっている「清風館」、殿様の休みどころとして建造されました。
間口がかなり広いのは殿様がお城から籠に乗って来て、玄関に籠を横付けするために間口を広くしたそうです。
園の中央に掘られた濯纓池(たくえいち)には長寿を願った「鶴島」「亀島」と呼ばれる島があり、島の松は一年中緑で色が変わらなく年を取らないとの意味で植栽されています。
この池の水は園の北側を流れる京橋川から引いていますが河口に近いため,淡水と海水が混ざった「汽水」になっています。
このため淡水に棲む鯉やフナに海水に棲むボラやチヌなどが同居、写真中央の白い点は飛び跳ねたボラです🐟
天明の頃7代藩主が京都の庭師清水七郎右衛門に造らせた跨虹橋(ここうきょう)は、地上と天上を結ぶ虹に例えられているため橋が大きく反った構えになっています。
橋の高い所から眺める景色はまさに絶景、でも橋は急で手すりもなく滑りやすいのでご注意を。
池のほとりにあるわずか数反の水田は現在でも神事として田植えをして、稲刈りの様子は広島の風物詩になっています。
水田以外に茶畑もあり、これも神事の一環でお茶摘みも行われています🍵
敷地内には広島県立美術館があり、庭園と合わせて一度に芸術が満喫出来るスポットです。
広島市内のど真ん中にありながら静寂と歴史を感じ原爆の恐ろしさを後世に伝える「縮景園」、宮島・マツダスタジアム・呉のてつのくじら館に比べると確かに地味。
でも観光で歩き疲れたら素敵な庭園を眺めながらのブレイク、まさに都会のオアシス的な存在で外せない観光スポットですよ😉