大阪・十三 焼肉の請来軒 ブログ


大阪・十三 焼肉の請来軒のブログです。

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さすがは浜松だけあってバスのラッピングも🥟、ここでは遠州鉄道バスが市内近郊をカバーしています🚌

浜松駅から10分弱「市役所南」バス停を下車、目の前にあるのが浜松市役所の西側にある「鎧掛松」。

この松は三方ヶ原の戦いに負け浜松城に逃げ帰った徳川家康公が、鎧を脱いでその松に掛けたといわれていることからその名がつけられました。

浜松市内のランドマークで徳川家康が築いた「浜松城」は、天下統一への足がかりとなった出世城です🏰

その周辺は浜松城を中心に日本庭園や中央芝生広場など、市民の憩いの場として整備された「浜松城公園」。

徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごし、有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いもこの期間中の出来事。

浜松在城17年間は徳川家300年の歴史を築くため戦いの連続だったんですね。

浜松城の石垣は自然石を上下に組み合わせて積み上げる「野面積み」、奥が深く内側に小石や砂利を詰めて強固な造りになっています。

徳川家康の築いた浜松城の城郭は南北約500m、東西約450m。

三方ヶ原台地の斜面に沿い西北の最高所に天守曲輪、その東に本丸、二の丸、さらに東南に三の丸と、ほぼ一直線に並ぶ「梯郭式」の築城法をとっています。

永禄11年(1568)三河から東進し今川領の制圧を開始した徳川家康は、駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目しました。

天下を盗るためにまず信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元年(1570)岡崎城を長男の信康に譲り三方原台地の東南端に浜松城を築城し駿遠経営の拠点としました。

一階では等身大の3D徳川家康がお出迎え、三方ヶ原合戦の説明映像でその偉業を辿ります。

三階への階段を上がると天井には歴代城主の家紋、昭和33年往時の石垣の上に天守閣が再建され平成26年には天守門が復元されました。

なので城内(館内)は博物館のような趣き。

展望台から眺める浜松市内と北に三方が原古戦場、南は遠州灘、西には浜名湖が見えます。

東にはてっぺんに雪を抱いた富士山の雄姿が🗻

ちょうど展望台に観光ガイドボランティアの方がいらして、運よくお城を含めた浜松の歴史や見どころを解説していただきました。

浜松城の北側には徳川軍が一矢報いるため野営する武田軍を襲撃した「犀ヶ崖古戦場」など、やはり資料と違い生の解説は頭にスッと入ってきますよね😌

本日5月3日は17時より営業、まだお席ご用意出来ますので食べに来てね🍖


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