校舎4階にある津波到達地点、ロッカーの半分が錆びているのが分かります。
この四階にも津波が来た証で、三階に車が流れ着くのも当然です。
白い壁も下の一部は変色、ここまで浸水しました。
四階の天井は無事でした。
津波で流されてきた水産工場が校舎四階の壁を破壊、想像をはるかに超え恐怖しか感じません。
学校にあるなずのない水産工場の断熱材。
休憩時間楽しくおしゃべりする生徒たちの会話が聞こえてきそう。
屋上から見えるのどかな田園風景。
しかし写真によると屋上付近まで津波は到達、実際現場に立ってみて当時の状況を理解しろと言われても無理です。
海岸沿いに建っていた民家はひとたまりもなかったのは一目瞭然。
気仙沼向洋高校には立派な屋内運動場がありました。
一部の壁だけ残って後は流失。
170名ほどの生徒は全員避難所に向かい無事、しかし重要書類を保護するため残った20名の教職員と、改修工事に携わっていた工事関係者25名が屋上に避難。
幸いにも津波が手前の水産工場が壁となり、勢いが抑えられたため難を逃れました。
避難されたのがこの上。
工事関係者が機転を利かし学習机と梯子で上まで移動、普段からの準備と冷静な判断で気仙沼向洋高校にいた全員が奇跡的に助かりました。
中庭も北校舎も津波に飲み込まれています。
一階と二階は流失。
ここも象徴的なシーンで津波で流され折り重なった車が当時のままの姿で保存。
こんな狭いスペースに5台の車が積み重なっています。
そんな被害の中、卒業生が植樹した木が現在も逞しく生きています。
死者1152名に行方不明者214名の悲劇を気仙沼にもたらした東日本大震災、多くの尊い命を弔うためにも気仙沼市民だけでなく全ての人間が教訓としなければなりません。
改めまして犠牲者の方々へご冥福を心よりお祈り申し上げます。