一見すると公園ですね。
中学で歴史の時間に教わった藤ノ木古墳、法隆寺から徒歩でも行ける距離ですが覚えてますか?
直径48mの大型円墳で6世紀後半の築造と推定されて昭和60(1985)年と63(1988)年の2度発掘調査が行われ、未盗掘の朱塗りの家型石棺、土器類、精巧で豪華な金銅製馬具(重要文化財)などが出土して注目を集めました。
残念ながら見学はここまで、出土品は重要文化財に指定され、現在は県立橿原考古学研究所附属博物館で展示されています。
最後の観光地は近鉄橿原線のすぐ横🚃
善人以外は用を足せませんよ💦
薬師寺の駐車場から参道を進むと現れる神社「孫太郎稲荷神社(まごたろう)」は、平安時代中期に藤原頼行公頼行により栃木県佐野市に創建されたことが始まりとされています
。社名である「孫太郎」は、永く社を守ってきた頼行公の末裔である佐野家一門の「佐野孫太郎義綱」に因んだものと伝えられます。
いかにもインバウンド客が喜びそうな景色。
ここは天武天皇9年(680)に天武天皇が皇后鵜野讃良皇女うののさららのひめみこ(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願、しかし天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御され、持統天皇が即位し新都藤原京に造営した「薬師寺」。
境内の南端南門から入るとすぐに見えてくるのが中門、中門からは金堂や東西の塔を囲むように回廊が続いています。
中門の左右には睨みを利かせている二天王像は1582年の兵火により中門とともに焼失、その後約400年復興をみることがありませんでしたが、1984年中門が復興され、それに伴う発掘調査により平成3年(1991)に復元されました。
1528(享禄元)年土地の豪族の戦火で焼失し豊臣秀吉が再建を計画しましたが叶わず、、昭和51年に再建された白鳳伽藍の一部である「金堂」。
堂内に白鳳時代作の国宝・薬師三尊像(薬師瑠璃光如来・日光菩薩・月光菩薩)が安置されています。
薬師寺に創建時から残る唯一の建物で、各層に裳階(もこし)を付けたリズミカルな美しさから「凍れる音楽」と賞賛される東塔〈国宝〉。
1528年に消失しその後再建されることなく、現在の西塔は1981年に再建されたものであるため国宝には登録されていない「西塔」。
ちなみに塔とは仏舎利( 釈迦 の遺体・遺骨、またはその代替物)を安置した 仏教建築 の事。
正面41m、奥行20m、高さは約17mで平成15年3月に四百数十年ぶりに復元された薬師寺最大の建物「大講堂」、講堂にはたくさんの学僧が参集して経典を講讃したため、このような大規模な堂が必要だったそうです。
話しは車に戻しますが火災以降山あり谷ありでしたが、新しい愛車が運んでくる次の10年はどんな未来なんでしょうか?
これからの10年は人生の中で一番大切な時期、不安でもあり楽しみでもあります。