紀伊田辺市街地には道標が残っています。
蟻通神社からしばらくすると商店街に、そこにある呉服屋さんの前にあるのが「道分け石」。
熊野古道の標識で大辺路・中辺路の分岐点であった、古の田辺を感じさせます。
道分け石を通り過ぎ、北新町商店街を進んでいきます。
その陶器屋さんの店先にあるのが「本町道標」。
この通りは通称かまぼこ通りと呼ばる福路町。
道の両側に、田辺名物の「南蛮焼(なんばやき)・牛蒡巻(ごぼうまき)」の看板がある蒲鉾屋さんが数軒立ち並んでいます。
歴史を感じる看板が続きますが、もちろん今でも営業されいるお店もあります。
こちらが新鮮なエソやグチをすりみにした焼き蒲鉾「南蛮焼」。
一方こちらは魚をおろす時に魚皮は別にとって置き柔らかく茹でた牛蒡をすり身で繋ぎ原型を作り、その魚皮を巻いてじっくり焼いて醤油タレにつけた「ごぼう巻」。
どの町にも銀座ってあるんですね。
続いて訪れたのは地元の人に大切にされている小さな神社「八坂神社」⛩
義経記や弁慶物語などを基に伝説として語られることが多い「武蔵坊弁慶」、実態は明らかではありませんが、田辺は弁慶生誕の地として有力視されています。
その弁慶が子供の頃に腰を掛けてへこんだと伝わる弁慶の腰掛石。
田辺城は錦水城(きんすいじょう)ともいわれ元和5年(1619年)築城された平城で内堀と外堀が掘られていましたが明治初年に廃城となり城郭は解体されました🏰
現在は会津川に面した水門跡がわずかに昔の面影を残しています。
こちらが穏やかな流れの会津川。
一番楽しみにしていた南方熊楠記念館はまさかの休館、祝日に休むのはどうかと思うんですが😢
世界的博物学者の南方熊楠は日本における博物学、宗教学、民俗学のパイオニア。
とくに菌類・変形菌類の分野では代表的な研究者でした。
また同じ田辺出身で偉人として語り継がれるのが、合気道の創始者植芝盛平像。
ここまですべて徒歩移動、最後に田辺にある世界遺産に向かいます。