大阪・十三 焼肉の請来軒 ブログ


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紀伊田辺のメインストリート「田辺大通り」。

宮路通りに入ると正面に巨大な鳥居が⛩

弁慶の父、熊野別当湛増が源平合戦の折に、どちらに味方するか紅白の鶏を闘わせたという「鬪雞神社(とうけいじんじゃ)」。
弁慶ゆかりの社宝が納められています。

本殿を含む社殿6棟が「熊野本宮大社」(和歌山県田辺市)と同じ姿で並んでいます。

「西殿」「本殿」「上殿」「中殿」「下殿」「八百萬殿」の順に配置されており、これを「熊野十二社造」と呼んでいます。
熊野本宮大社と同じように社殿の前には板塀があるため、各社正面から撮ることは出来ず斜めからの撮影📸

これは「湛増・弁慶の像」で鬪雞神社の名は平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来します。

源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当・湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせました。すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を出陣させました。熊野水軍の加勢が合戦の勝敗に結びついたともいわれます。

出生地については諸説ある武蔵坊弁慶ですがもっとも有力な説として、熊野三山の別当・湛増の子と言われています。
田辺市内には誕生にまつわる産湯の井戸、産湯の釜、腰掛石など数多くの遺跡や遺物が残されています。

軸部の技法的特徴や細部意匠に地方的特色を備えており,紀南地方における近世社寺建築の展開を知る事が出来る「鬪雞神社」。

社殿は熊野本宮大社が川の増水で流失する以前と同じ配置をしており、熊野信仰の歴史をいまに伝える貴重な場所です。


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