沖縄観光最後は初訪問の「旧海軍司令部壕」。
沖縄は本土防衛最後の砦として、日本の中で唯一住民を巻き込んだ地上戦が行われた場所。
駐車場から入場までの途中にある、当時の遺留品の展示や戦争の歴史を学ぶ資料館で予習。
世界平和はいつの世も恒久の願い。
今から旧海軍司令部壕に入っていきますが入口には使用されたつるはしが、人の手だけで掘られた旧海軍司令部壕。
昭和19年(1944年) 日本海軍設営隊(山根部隊) によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われています。
自称153㎝の相方でも天井ぎりぎりの場所が多数あります。
壕内に降りて最初に見える「信号室」。
この狭くて薄暗い「作戦室」で日夜対抗策を練ってたんですね。
コンクリート漆喰で固められた壁は当時のままです。
壕内は薄暗い通路が無数に張り巡らされ、迷路のようになっています。
司令官室・作戦室に近い「幕僚室」。
幕僚が手榴弾で自決した時の破片のあとが当時のままくっきりと残っています。
通気も悪く湿度や異臭と劣悪な状況でわずかな時間休息をとる兵士たち。
この狭い壕内に4000人の兵を収容、場所がなく立ったまま睡眠をとる兵士も。
この極悪な環境に緊張の連続、過酷な兵士の事を思うと言葉になりません。
大田司令官の愛唱歌が鮮やかに残されている「司令官室」。
旧海軍司令部壕の司令官であった大田實少将はじめ幹部6名は、米軍の猛攻に昭和20年6月13日夜半、拳銃自決を遂げました。
大田少将が海軍次官に宛てた、沖縄県民の献身的作戦協力について訴えた電報が残っています。
平和の大切さを痛感する「旧海軍司令部壕」、物言わぬ壕が何よりも歴史の証人です。
壕出口から見る那覇市内、司令官を始め兵士たちのおかげで平和に暮らせていることに感謝しかありません。